2012年5月31日木曜日

プリピャチ

プリピャチ」を見てきました。
監督は「いのちの食べかた」などで有名なドキュメンタリー映画を数多く作っているニコラス(ニコラウス)・ゲイハルター監督。


映画のタイトルであるプリピャチとはチェルノブイリ原子力発電所から約4キロメートルに位置する街の名前。
1986年の原発事故後半径30メートルは未だ許可なく立ち入る事が出来ない立入禁止区域通称「ゾーン」の中に位置しながらも故郷が離れがたく住んでいる老夫婦、離れたくても離れられない老女、若い人を住まわせないように働く中年女性、チェルノブイリ原子力発電所の安全責任者などにインタビューをしたドキュメンタリー映画。

全体を通してナレーションや音楽が一切ない、モノクロの異様な映像は死を連想させる。こののどかな町は事故をきっかけに、人々は去りあっという間に退廃的な別世界になってしまった。
国は100年、150年後もここには人は住めないと言い、敷地内のもの全ては外に持ち出せないようになっている。しかしここに住む老夫婦は事故前と変わらず魚やキノコを採り自給自足の生活をしている。

「放射能は臭いも色もないから私たちにとって何が変わったのか分からないのさ、7年で滅びる(街に住んでいる人が死ぬ)と学者に言われたけど、もう12年も経っているよ」と街の人々は言っている。
街には子供や若者はもちろんいない、死に近い老人たちには国も出ていけとは言わないそうだ。


街の人々にとって住む街を一瞬にして奪われ、自分たちの故郷が有刺鉄線で囲われてしまった(「有刺鉄線で囲っても放射能が漏れないわけじゃないだろ」とジョークを言っている)街を持つ気持ちは我々には分からない。
原子力発電所で安全責任者として働く男は給料に不満を抱きつつも自分の仕事に責任感を持っている、チェルノブイリ原子力発電所はまだ稼働し絶えず発電をしている。

立入禁止区域外に住んでいる人達にとってあの事故は過去のものであり、プリピャチは過去の街として人々には記憶されるであろう。
監督は彼らを亡き者にせず、この映画で資料化したかったそう。

この映画を今の日本でやることは非常に大きな意味があるだろうし、反原発の理論がますます加速するだろうけど、彼らは必ずしも不幸ではないのかもしれない。常に放射能におびえ、自由がないように思える。しかし映画の最後、老父がこういった

「私はプリピャチで生まれてずっと生きてきた、僕はここで死にたい。これが僕たちの日常なんだ」



ちなみにこの映画の舞台になったプリピャチはツアーが組まれていて一般の人でも行くことが可能です(もちろん自己責任で)
プリピャチの写真(Flicker)


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